2013年1月8日火曜日


「サンシティ池田」26周年記念に想う

 「サンシティ池田」のシンボルタワー「昇陽の樹」をご存知でしょうか?一定の時刻に10個の鐘がメロディを奏でますので、「あ~あれか!」と解っていただけるかとおもいます。ヨーロッパの教会にもある「カリヨン」と言う「体鳴楽器」(拍子木・マリンバ・シンバル・カスタネットなど)です。季節には合わせたメロディを演奏します。
 昭和62年4月(1987)14年間の月日をかけて「サンシティ池田」はようやく竣工しました。建設に携わった方々の多くが故人となられ26年の歳月を経たけれど、今日もカリヨンの鐘が響きわたります。
 「サンシティ池田」は正式には「池田駅前南地区再開発ビル」と言います。開発前この一帯は低層木造の住宅・店舗が自然発生的に混在し、唯一鉄筋の「山双ビル」があり、公設市場が存在していました。当時の日本経済は高度成長の絶頂期で、特に大坂北部は万国博(1970)に触発された地域開発へのバイタリティは充実していました。池田市では「池田駅前再開発事業」として池田駅北地区・南地区の再開発・阪急電車の高架化・駅及び周辺整備これらを同時に行うことになりました。南地区は組合施行(民間施工)による再開発で北地区(ステーションNビル)駅周辺整備などの市施工(公共団体施行)とは異なった地元の権利者による再開発でその道のりは苦難の連続でした。地権者(地主)の同意から始まり、借地権者・借家権者・転貸借権利者・営業権利者など複雑な権利関係の権利の確定同意を得るため朝駆け夜駆けの個別訪問に精力を尽くしました。核テナントの選定と売却・周辺商業者との「大店法」の調整。仮店舗ステップの設置・ビルの建築設計・商業床の配分など会議・面談は300回に及ぶ過酷さでした。全国で民間施行の事例が少ないことがその難しさを示します。池田市の三事業連立の成功は全国でも珍しく見学者が絶えませんでした。「もしあの時、再開発事業が行われていなかったら」と考えると現在の池田駅周辺の街の姿はなく、大局的に見て良かったのではないかと感じています。私がかかわった43歳から57歳まで14年間の池田駅南再開発事業は「男一生一度の挑戦」でした。その後1999年起きたバブルの崩壊は池田の再開発にとって幸運としか言えない経済事件となりました。
 「再開発」と言うのは土地を高度利用するために区域を整備して複数の権利者が一緒に建物を共同化することです。事業は「都市再開発法」に基づいて施行されます。第一種は事業前の資産と事業後の資産に変換する「権利変換方式」で行われます。

(池田駅前南地区第一種市街地再開発事業の詳細は「池田市・事業誌」「鉄道高架とまちづくり」P191P205中岡 嘉弘執筆をご参考ください)

池田駅及び周辺の各事業の経過

池田駅前南地区再開発事業
池田駅及び周辺の開発事業
1973年(S48.7)池田駅前南地区再開発基本計画
1985年(S60.6)ステーションNオープン
1974年(S49.7)研究会発足
1985年(S60.9)阪急ブランマルシェ1番館
1976年(S51.7)協議会設立
1986年(S61.4)阪急ブランマルシェ2.3番館
1977年(S52.6)準備組合設立
1987年(S62.3)駅前広場・高架事業完成
1982年(S57.2)本組合設立認可
1987年(S62.4)サンシティ池田オープン
1983年(S58.9)仮店舗ステップオープン
1989年(S64.4)アステ川西オープン
1987年(S62.4)サンシティ池田オープン
1993年(H5.4) 宝塚 ソリオ阪急0-プン

 平成26年には池田商工会議所・公民館などが新しく建替えされ平成の再開発となります。昭和の駅周辺の再開発が行われた時と同様に、景気が回復されようとする絶好のチャンスになると思います。池田市の活性化の起爆となることを期待しています。

 

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