2013年2月18日月曜日


サンケイ新聞夕刊「夕焼けエッセー」投稿・掲載・表彰作品集

自  信

先日、モデルを目指すアラサーの女性たちが集うセミナーに潜入?して見ました。テーマは「自信について」私は講習会を前に自信ってなんだろう?と考えて自信とは活動を起こす原点になる心の問題だからまず、自信をつけることが大切だ。それを心の支えとして実行へのスイッチが入るものだ。私はそう信じて講習にのぞみました。トーキング方式で始まった講習は「自信があるように見える人ってどうゆう人?」と言う質問に受講生からは「背筋ピン・堂々・落着き・笑顔・風格」などの第一印象が返って来ました。講師は「これらは見せかけ・なりきりの演技です。Fake it!(偽物になる)ことが自信をつけるために必要なのです。」と言われて私は意外な気持ちになりました。続いて「胸を張る・顎を上げて目線を決める・サングラスをかけて見よう。すると不思議にも偽物が本物に変わってくる。自信をつけるためには形から入る。自信がついてからやるでは自信なんてずっとつきません。自信をつけるためにはなりきり行動を起こすことが先決なんですよ!」とそんな指導がありました。私の考えの間違いと分別くさい年齢を感じてしまいました。自信がなくてもやって見るポジティブな勇気と言う若さが自分にはなくなってきているのだ。そう感じながらセミナー後のランチタイムでは年齢をタイムスリップして30代の女性たちとの仲間に入って楽しく会話を交わしました。セミナーは自信過剰となって優越感に陥りやすい年齢にブレーキをかける良い機会となりました。

81歳の同窓会

同窓会も卒業生が80歳ともなると、誰からともなく「もうここらで止めようか?」と侘びしい声が出るようになる。同窓会の世話をする意欲のある者がいなくなってしまうのである。

81歳を迎える小学校の同窓会が「からすま京都ホテル」で開催された。20名ほどの出席となったが、98歳になられた恩師が毎年唯一の楽しみに出席されていることが同窓会を継続する「よすが」となっている。同い年の同級生が集まるのでそれぞれの健康状態の差が歴然とする。髭と頭髪ともに真っ白となった仙人、見事に光を放つ僧形の者、やや認知症気味となって首を小刻みにふる友、杖をたよりに歩行の困難な女性、全部が病歴を持つ仲間だが、中には毎日テニスに行くと言う溌剌としたおばぁちゃんもいる。何千人もの赤ちゃんを取り上げてきた現役の産婦人科医も健在だ。恒例となっているのは全員が順番に自分の現況や思いをテーブルスピーチすることである。口元でボソボソと話す聞き取り難い卓話が続くけれど、本人にとってはこの機会がなによりの自己満足となる。自分の病気のこと、孫の可愛さ成長を慈しむ話などが多い中、妻や夫の話しが少なく孤独に生きる晩年の心境が伺えるのも傘寿の歳だろう。

今回で最後となるかもとの思いで毎年続く同窓会。それぞれが異なった人生の苦楽を経験し過ごして来た80年。ふと小学生に還ってバーチャルなひと時を過ごす友の横顔に昔の面影が懐かしく甦って来る。「諸行無常」時間は音もなく流れて行く。

二十四の瞳

池田市の音楽堂で、戦後間もない昭和29年に上映された木下恵介監督作品「二十四の瞳」を58年ぶりに再び鑑賞することが出来た。主演「高峰秀子(でこちゃん)」を始め殆どの俳優が今は亡くなってしまっている。この名画は私の人生と重なる時代のもので、当時は戦争への激動の時代、貧しかったけれど生きるために家族が助け合って暮らしを支えた絆があった。家計を補うために修学旅行にも行かせてもらえない女の子、ユリの花のアルマイトの弁当箱一つ買って貰えない子、そんな暮らしのなかでも子どもたちのつぶらな瞳は輝いていた。そして母親のように慕われ子どもたちの将来を自分のことのように心を痛める大石先生。観客の殆どが高齢者だったのかハンカチで眼を押える人々が多かった、当時の頃を思い出して涙されているのだろう。右肩上がりの経済成長で来た日本は途上国に追い上げられ、更に巨大な震災・原発の停止と頂上を極めた日本人は今や過去の栄光から慎ましく下山の教えに従って足元を見直さなければならない。二十四の瞳を鑑賞させてもらったお蔭で、天体ショーで大騒ぎし平凡な日常を過ごしている自分が何か疎ましくなって、これからは欲望を抑えて、普通の生活のなかに小さな幸せを見つけて行く智恵を映画から与えてもらったような気がする。

すべらんうどん

大阪の「天満宮」の境内。「繁昌亭」の奥に「星合の池」と言うのがある。「牽牛・織女伝説」にまつわる男女の「恋愛成就」の聖地として七夕の夜には若いカップルで賑う場所である。このなかに「星合茶屋」があって「すべらんうどん」と名付けられた変わったうどん屋がある。毎年1~3月には学問の神様天神さんにすがって受験生が押しかける。

「すべらんうどん」とは、やや短めのきしめんの様な扁平なうどんの真ん中に切り込みがあって、そこにお箸やフォークが入ってうどんが滑らずに食べられる。このうどんを考案された方は目が不自由な身障者でなんとかうどんが滑らんように食べられないかと工夫されて出来上がったのが障がい者に配慮したうどんだった。それが天神さんのご加護で受験合格のうどんに発展した訳です。うわさを聞いて早速行ってきました。赤い絨毯が敷かれた床机に腰掛けてメニューに目を通すと、天神天うどん・たい焼きうどん・祭りばやし・サラダうどん・などユニークなものからきつねうどん・肉うどんなどのポピュラーなうどんまで全部すべらんうどんである。その他梅ジュース・抹茶・コーヒ・みたらし団子・かき氷まで良心的なリーズナブルなお値段で提供されている。普通の店の倍の大きさのお揚げの乗ったきつねうどんを戴く、うす味の澄んだ出汁につゆの良く滲みこんだうどんはなるほどすべらん!?とても美味かった。私にはもう受験も恋愛もないと思うが、つい口が滑って相手に不快な思いをさせることがあると思う。これが問題だ!ここでシールを貰った「言葉は魔法・すべらん!」と書いてある。戒めにさっそく携帯に貼っての帰り道、階段ですべらんように、足腰に気をつけながらゆっくり帰途についた。ちなみに「すべらんうどん」は新案特許に登録されています。(お土産にすべらん干しうどん100g120円をどうぞ)

ちび君の「日韓親善」 掲載

寒がりの私には冬の夜の犬の散歩は辛い。15歳を越えた「ちび君」だがおとなしくて人好きだ。それに店が好きで立ち止まってじっと店内を見つめるので店員さんの注目を集めて「可愛い!」と女子店員が外へ飛び出して来ることもある。そんな様子を見ると辛くても散歩の時間になると重い腰を上げざるを得なくなるのである。今夜も駅前のビル1階のトンネル通路をヨタヨタと歩く。トンネルは深夜もずっと明るい照明が点けられ若い女性にも安全なエリアになっている。1週間ほど前から毎晩若い女性がベンチに座ってフードに顔を埋めてケイタイに熱中している。そんな2日目、通り過ぎようとした時、プーさんステッチの暖房衣を着た「ちび君」を見つけて「????」と叫んで駆け寄って来た。「うっ!ハングルだ」片言の日本語で「カンコクキタ」などが解るだけで会話は弾まない。それでも心は通じあって交わす笑顔の瞳が光る。それから毎夜「ちび君」との出会いが続いた。そして数日後、駅の構内で後ろから声がかかって「カンコクカエリマスサビシイ!」悲しい別れだ。どうして池田に来たのか?何も解らないままのお別れとなった。一旦別れてから、ふと思いついて近くの「蛸すけ」でタコヤキを買っていつものベンチへ。別れの握手の冷たい手の感覚が残った。またと合う機会もないだろう。彼女もきっと「わさびマヨ」のタコヤキの味と日本人の私との出会いのことを覚えていてくれるに違いない。

なんやかんや帖

私の手元には、いつも「なんやかんや帖?」が在る。新聞・TV・ラジオから地元のニュース記事までジャンルを問わずさまざまの情報から話題となるものを選んで書き留めたオリジナルノートである。

今の時代、殆どの人が情報の洪水を聞き流し見捨てて忘れて行く流れのなかで話題となるトピックスが結構あるものだ。選んだなかで大事なことはそのままの受け売りではなく自らが体験し、更に内容を深めて自分のものとして語ることである。「なんやかんや帖」から相手に合いそうな話しをすると「へぇ~そんなん知らんかった!」「へぇ~すごい!そんなこと知ってはるの~」とか言われて、つい話題がはずむ。博学の師匠などとおだてられることもあるが、「唯のMEMO魔」でしかない。逆に会話の中から知らなかった若い人達の知識を教えてもらうことが多い。そして誰とでも楽しい時間と空間を過ごせる幸せを感じる。

さて最近のノートの一部を紹介しよう、ノルウェイの森(映画)・斉藤智裕(水島ヒロ)著「KAGEROU」・電子書籍元年・MARUZEN&ジュンク堂茶屋町出店・中高生のギャル語・植村花菜「トイレの神様」紅白出場・流行語大賞・日本の携帯はガラ系・ロスジェネ(ロストジェネレーション)・ミドリムシのカステラ・佐野有美(あみ)さん「手足のないチアリーダー」・・・などが書いてある。話題は項目に関連して次々に広がり生まれて尽きない。それでも最近はこんなことを思う。  「何一つ知らなきを知る傘寿かな」

モスリン橋   掲載

 「モスリン」とは、イラクの都市モスルが原産とされる羊毛などの単糸で平織りした薄地の織物のことで、現在ではあまり知られなくなってしまった。

大阪の(じゅう)(そう)のネオン街のはずれに昔ながらのキャバレーが今も盛業中です。お客はやはり昔を懐かしむ高齢者が殆どで、ホステスさんもそれ相応の年齢?だ。円形のひな壇式のボックスから見下ろすステージでのカラオケの人気は断然昭和演歌、なかでも藤田まことの十三のね~ちゃん「十三の夜」がホステスの共感をえてうけるのだ。この唄の歌詞に出てくるのが「モスリン橋」私はこの唄を歌ってホステスに聞かれた。「モスリン橋ってどこにある~んヨ?」・・・・誰も知らない。答えられなかった私は責任を感じて、ある日探索することにした。阪急神崎川駅から下流へ川沿いに下った。そして豊中市・尼崎市・大阪市の接点でついに発見したのだ!!古い橋を想像していたが、それは真っ白で流れる曲線のようなモダンな橋だった。橋柱には「毛斯綸(もすりん)(ばし)」と(しる)されていた。

 以前ここにモスリンを製造していたモスリン紡績戸之内工場があって同社が初代のこの橋を建設し園田村に寄付したと言ういわくがあった。またこの近くには戦後まで遊郭があったと言う。昔はそんなロマンチックな橋やった。そうなんや!

()~ちゃん ()~ちゃん 十三の()~ちゃん モスリン橋を 今日は二人で渡たろうよ~」♪♪ それからはホステスに「モスリン橋ちゅ~のは・・・・」と健気に生きる十三の姐ちゃん達に得意で説明するのが自慢となった。

愛 と 孤 独

人は一人で生まれ、一人で死んでゆく。どんなに仲睦まじい夫婦であっても生き別れとなることは避けられない。悲しいことだ。

人はたとえ一人で生まれても、親の深い愛情に育まれ生長し、やがて社会に出て多くの経験を重ね、多くの人々に支えられ助け合い成長し、精神的な試練を超えつつ人格が形成される。やがて社会に役立つ人間として認められ信頼される存在となれる。

人間にとって、生きる支え・生きがいとなるのは自分の存在が認められ、信頼されることである。それは相互関係でもある。より多くの人間に認められ、信頼される人こそ幸せは大きいのである。

しかし栄光は長続きしない。社会的地位はやがては下降し、家族は独立し離別してゆく環境は希薄となって侘しい孤独が忍び寄る。子供に背かれ友を失うこともある。体力も衰退し病が生じ存在価値が薄れ人生の終焉を感じるようになる。

このようになったときこそ、この不幸・挫折を少しでも和らげ、幸せを持続させる周辺の思いやり愛情がほしいときである。若い頃の「あこがれ」が「あきらめ」に変わる老いを静かに感受して、愛を受けるためにも愛をほどこす努力を心がけつつ日々を過ごすことが大切だと思っている。「人間は人の役に立つために生まれて来たのだから」!

京おどり

京都五花街では桜の開花を待ち焦がれていたように五月にかけて花街それぞれの流派の踊りの舞台が開幕する。その一つ、宮川町では「京おどり」若柳流の踊りが華やかに催される。今年の題は「花絵姿京洛瑞祥」全七景。番付を見ると5年前舞妓でお座敷に出ていた「小扇ちゃん」が芸妓として、堂々と円熟の舞台を努めているではないか。早速、お茶屋に「おかぁはん、券4枚取ってんか!」と頼んだが、「お~きに、それが抽選でなかなか取れへんのどす~。わて今年はくじ運が悪おましてな~」?!お点前付入場券がようやく2日前に入手できた。花街では14歳位から仕込み・見習いの芸事修業を積んで15歳位で舞妓として店出しする。お座敷体験を重ねつつ更に芸を磨いてやがて襟変えして芸妓となる。そして、長い間お世話になった屋形を離れて独立してお座敷に出ることになる。後輩の舞妓とは姉妹の関係となって名前の一字を与えて源氏名とする。10数年の間、お座敷・舞台の華やかな「表」とお稽古・お勤めの苦しい「裏」とがある。屋形のおかぁはんと芸のお師匠はんの愛情と厳しいお稽古に育くまれながら、努力忍耐を積み重ねて一人前としての芸妓となる。一人一人の花街の女の一生が京都花街の情緒・伝統を残して来た。ネコの大好きな「小扇ちゃん」はこれからどんな後半生を過ごすのだろうか?芸妓それぞれが光と影を表裏に織り込んだきらびやかな人生の織物を仕上げて舞台で披露する。

狂言「三本柱」

果報者(金持ち)が「山から三本の柱を一人二本ずつ三人で担いで戻ってこい!」と命じた。太郎・次郎・三郎冠者(かじゃ)の三人はさて、どうすればよいか?・・・考えて見て下さい。(答えは最後です)

先日大坂谷町5丁目にある「大坂大槻能楽堂」へ「忠三郎狂言会」の鑑賞に行って来ました。

 狂言は能と並んで「能楽」と総称される日本古来の伝統芸能です。能の番付の一部として上演されることが多いので軽くみられがちですが、狂言と能は600年以上兄弟のように歩んで来ました。狂言にも立派に独立した流派があって愛好者が沢山おられます。平安時代の「猿楽」から鎌倉時代に能と狂言が生まれました。能が面(おもて)をつけて舞踊的要素で抽象的・象徴的な表現が目立つのに対して狂言は面(おもて)をつけず(一部の役柄では使用する)猿楽の持っていた物まねや道化的な要素を伝えて風刺(ふうし)滑稽さ(こっけいさ)を扱って現在の吉本新喜劇とも言えます。しかし笑いの質はカラットした深い味わいのある「ふくみ笑い」と言われています。台詞(せりふ)は室町時代に日常話されていた言葉です。この「室町口語」(むろまちこうご)が日本語の基礎となるものです。室町時代に最盛期を迎えた能と狂言は流派によって伝承されてきました。狂言では「大蔵流(おおくらりゅう)」「和泉流(いずみりゅう)」「鷺流(さぎりゅう)」がありました。鷺流は家康のお抱え狂言師でしたが明治初期に消滅し現在は二流派が残りました。和泉流は和泉元彌の宗家継承騒動でテレビを賑わした流派ですが野村萬斎が有名です。関西大蔵流では・茂山千五郎真一・千五郎七五三・善竹(ぜんちく)彌五郎(何れも人間国宝)茂山忠三郎などが著名な狂言師です。四世茂山忠三郎は今年820日永眠され、当日は子息の茂山良暢が忠三郎の代役となって亡父の追善供養興行となりました。

「三本柱」は数百年も昔に幾何学・物理学的に合理的な考えを面白く演目に組み込んでいるのに感心させられました。それにしても狭い山道をこの形で降りてくるのは大変でしょう。

【答え】

柱の両端を重ねて正三角形をつくり、3人がその頂点を担ぎます。

元気な高齢者よ

元気なお年寄りを街でけっこう見かけるが、私もおかげでその仲間に入れてもらっている。
先日、「元気なまち池田創生市民会議」に池田市長から委員として委嘱を受け出席した。池田を元気なまちにするには、まず高齢者が表舞台から降りることだ!と日頃考えている私には何と皮肉な立場となったものだ。江戸時代「侍」はちょんまげが結えなくなると隠居を迫られたし、明治維新を成し遂げた倒幕派は30代の壮年たちだった。と言っても引きこもって何もするなと言うことではない。高齢者は歳の数だけの人生経験がある訳で良しにつけ悪しきにつけ問われればアドバイザーとしての希少な価値を持っているのです。50代の人がトップとなって3~40代の人たちを動かして行く。その行動力が元気なまちを創生すると思っています。ミドルエイジは仕事で手一杯の上、子どもの養育・教育費の負担が重い世代です。しかし私の経験では忙しい時こそ仕事と併行して別の事業が出来るものなのです。定年退職して楽になり何でも出来るのに、何事にもやる気を失って安穏を貪る方が多いのは困ったものです。また一方、何時までも現状を保守して俺がやらなくてはと若者のすることを危ない橋渡りと見て革新を妨げていることに気付かない方もいます。高齢者は一歩下がって見守る行動を心がけなければならないと思います。ソクラテスの「無知の知」を座右にさらに知識を求め、若さを保ってほしいと感じています。

 庚申(こうしん)さん

最近は善悪の自制心を失い自己チュウや欺瞞に満ちた人が多くなったようだ。江戸時代の庶民が自らを戒めた庚申さん。そのひとつ「京都八坂庚申堂」をたずねた。有名な「八坂の塔」のすぐ下にある。本尊は「青面金剛」と「三猿」だが、まず圧倒されるのは境内・堂内に手足を括られた無数の「くくり猿」が溢れんばかりに奉納されていることだ。「くくり猿」は揺れ動く人間の心を固定した姿を表わしている。「庚申さん」は道教の教えで、平安時代日本に入って江戸時代盛んになった庶民信仰の一つで「えと」(十干・十二支)と「五行」(木火土金水)とを組合せた60日サイクルで循環する暦の「かのえさる」の日のことだ。人間の頭・胸・下半身にそれぞれ虫がいて、頭の虫は詐欺・横領・偽装などの知能犯。胸の虫は心根・本性の善悪。下半身の虫は浮気・不倫を監視していると言う。                                                                     

庚申の夜、虫は人が眠った隙にそっと抜け出して天帝に行状を告げる。天帝はその人間の評価を減点してゆき持点が0になったとき死を宣告するとされる。そこで人間は三匹の虫が抜け出さぬように眠らず夜明かしをする。この習俗を「庚申待」と呼んで自らを戒めたのだ。先日池田市建石町で貴重な「青面(しょうめん)金剛(こんごう)木像」を発見した。庚申さんを知らない人が多くなった中、あの青面金剛が私にエッセーを書かせたように思えてならないのです。この話を家内にしたら、「下半身の虫の減点に気~つけんと・・・!」と釘を刺されてしまった。

困った人々

社会は「十人十色(じゅうにんといろ)」と言われる。色々な生い立ち性格の人々が生活している。その中で人を不愉快にさせ、和を乱す困った人が必ずいる。自己中の人・クレーマーと呼ばれる人・自分が見えない「裸の王さま」たちだ。これらの人々は相手の立場で物事を考えることが出来ない人々で、わがままで客観的に物事を判断出来ないためにトラブルを起こす要素を持っている。
常識ある社会人は、これらの人と適当に付き合い、近づかないように避けて賢く振舞って反面教師として自らを戒めている。こうして「憎まれ児・世にはばかる」社会が形成されて行く。これらの困った人は決して無くならないが、幼児からの道徳教育や保護者(親)の行いで減らすことは出来るが、戦後の誤った個人主義・人権の偏重の教育に起因するところが大きい。これらの困った人は、自ら墓穴を掘って転落するか、次世代にその因果を受ける!そう思わなければ気持ちが収まらない。しかし、行動が許容範囲を超えるときは勇気をもって制裁を加えなければならない。じっと我慢をするのが「大人の世界」ではすまされない社会問題となっている。困った人は不利となると「駄々っ子」のようになりふりかまわず暴れまわり反抗することを予測して、複数・多数で対応して押さえ込む方法が必要だ。
世界各国の国際社会でも全く同じ状況がおきている。困った国に対して、ただ平和に話合いでなどと媚びへつらう日本の外交は衰退へと歩む途でしかない。軍隊と軍備は戦争のためではない重要な国の備えだ。

十三ファンダンゴ

ファンダンゴとは「団子」ではない。「ウルフルズ」など有名なロックアーチストたちを育てたライブハウスだ。十三駅西口近くの駐車場の一角にある。なぜこんな所からスターが生まれるのだろうか?サイケデリックに塗られた重い鉄の扉を身体で押し開けるや、凄まじい音量が身体に響く。薄暗い場内は船倉のような狭い空間に鉄骨や鉄パイプが天井を這う。舞台の照明に照らされた若い男女のシルエットがぎっしりと立ちつくしリズムに揺れ動いている。壁には前衛芸術風の絵が描かれて、低く狭い舞台は音響機器が所狭く置かれて両脇にスピーカーがドッカリと積み上げられている。座席と言うものはなく数個の小さい丸テーブルと高椅子が置かれているだけ、今日はファンダンゴ22周年記念で出演は「アシガルユース」などの4グループ。目の前で演奏するアーチストと一体となりズンズンと身体に感じる低音のビートがたまらない臨場感だ。音量の大きさは隣の話さえ聞こえない。「ただ音楽に浸れよ!」と言わんばかりだ。謎が少し分かって来た。ファン層のレベルが違う、ファンはみんなインテリジェンスでミーハーは見当たらない。この真摯なファンと、この老舗のオーナーがきっと我慢強くアーチストを育てているのだ。演奏を終えたグループは屋根裏の楽屋への鉄の階段を登って行く。やがて再び降りてきて、自分のCDを求めるファンに丁寧にサインし、親密にファンとの交流を惜しまない。十三と言う大阪の庶民的な土地柄から大阪の若者の音楽「Rock文化」が育って行く。若さのエネルギーが爆発するライブハウスをたまには訪れて見よう。元気をもらいに!パワー炸裂!

「夕焼けエッセー」のエッセー

便箋に書かれた手紙を見ることが久しい。ケイタイやパソコンがあっと言う間に普及し「メール」が手紙に取って代わる情報交換手段となった。本来メールは用件を簡潔に伝える連絡通信として利用されはじめ、様式や文法などを気にせず短文で会話風に書くものだ。そんなルールさえあった。やがて顔絵などを挿入することで感情を表わす遊びが加わって頻繁に交信が行われるようになって来ている。そして交信がお互いの絆を結ぶ安心感となって孤独を癒す手段にもなっているようだ。メールが本当に人と人との心を通わせ感情を伝えることが出来るのだろうか?やはり手書きの文章には及ばないと思う。今更遡ることの出来ないメール社会になっていればこそ「夕焼けエッセー」が今とても大切な役割を担っているのではないかと気づく。毎日、夕焼けエッセーを読んで、投稿されている方々が健気に生きておられる生活の一こまを、600字のドラマとして拝見し微笑み涙して、メールでは伝わらない感動や共感をもらっている。私は運が良かったのか3回も選考された。タイトル・書き出し・結び・漢字とかなの配分・600字に収めるなど苦闘しながら推敲してゆく、文章を書くことの難しさを知ると共に作家や記者の能力に感嘆せざるを得ない。読んでもらえる文章は易しさ・面白さ・流れなどもあるが、最も大切なことは自分の体験から得た真実の表現が作文の技巧より優ることだと思っている。

私の苦手なこと 

現在の私には苦手な事も物もありません。無いと言うよりは苦手とは思わず何でも挑戦して見たいと思う、好奇心があります。
子どもの頃は得意なことが無く、苦手ばかりの勇気のない弱虫で影のうすい存在でした。
中学へ行くようになって、器械体操を始めると体力も強くなり精神力も整い物事に挑戦する勇気・決断力が備わる青年に成長しました。スポーツのおかげですね!
社会人となって仕事に就くと「苦手だから」と避けては通れない世間を経験しました。
「苦手」と「不得手」は同義語ですが、少し違うように思います。苦手だからと言って敬遠していると進歩がありません。不得手なことは沢山ありますが、不得手は生まれつきのものが多く、仕方のないことです。
苦手の方はあえて挑戦してきました。それでも苦手なのは人間関係です。「自慢ばかりする人」「人の悪口を言う人」です。注意することも出来ず、我慢してお付き合いをしています。
年齢と共に「得手勝手」な振る舞いもするようになり家族にも嫌われています。現在苦手と言うより困るのは坂道と階段です。それでも無理をせず、ゆっくりと一段一段と昇れば必ず到着出来るものです。人生もそんなものかと思います。「坂の上の雲」でしょうか。また人は十人十色です。寛容の気持ちで角を立てず、ま~るく世間を渡るように心がけています。

老犬の幸せ 掲載「月間賞」「年間賞」

去年の秋、娘が一匹の老犬を施設に頼まれて引き取って来た。その柴犬は認知症となられた飼い主から預かった犬で、その前は野良犬だった。野良犬だった頃にはいじめられ、ようやく飼われた主人からは見放された。不遇な半生は彼を人間嫌いにさせ、何事にも反応しない性格となって「無言のゴン」と呼ばれて施設で暮らしていた。施設の慰問に通っていた娘にだけは何故か懐いて老後の面倒をみる運命となった。人間なら90歳になる年齢は臭覚と聴覚だけを残して何の芸も出来ない。愛称ゴンチはブルブルと身振いすると腰が砕けてヨロヨロとよろめく。それでも一日3回の散歩が日課となって1回は私の義務となっている。「さぁ!散歩にいこか~」と声をかけても無表情に濁った眼で見上げるゴンチだが、リードの金具で床を叩くと散歩が解ってゆっくりと立ち上がる。トボトボと歩く姿の、一目で老犬と解るゴンチに通りすがりのおばあちゃんが「ほんでも、あんた今は幸せやさかい、がんばりや~」と老いの憐れみよりもしみじみと暖かい励ましの言葉をかけて貰っている。散歩も一向にはかどらない。少し歩いては立ち止まり考え込むように動かない。雨の日は特に散歩が嫌いなのか、むりやり引きずり歩かせる。それでも娘にだけは尾を振って喜びの感情を示すのが救いだ。ゴンチは明日への夢は見ず、今日一日の幸せな時間をたっぷりと過ごしている。そして私もゴンチとの老・老介護の平凡な日々に明け暮れている。

  人間にも犬にも一生がある。老い先の見える自分と老犬の姿を重ね合わせ、生まれ・老い・死する自然の摂理に従容と臨めればそれが一番の幸せなのだと教えられた。「情けは犬のためならず」境遇は幸せにも不幸にもする。

黒い瞳

我が家の愛猫「つぅ~」が突然に黒い瞳となってしまいました。瞳孔が開いたままで昼間も真っ黒な瞳となって、原因は解らないのですが猫独特のウイルスがこのような症状を起こすことがあると言うことを聞きました。
阪急電車「中津駅」で親に別れてキイキイと救いを求め鳴いていた子猫を拾って来て、中津の「つぅ~」と名付けました。今年で9歳となった彼女は毎晩高めのベッドに軽々と飛び乗って添い寝していましたが、以来自分で昇り降り出来なくなって、鳴き声で意志を知らせるようになってしまいました。2mもある棚の上に飛び乗っていた昔が考えられないことです。性格まで変わって大人しく抱かれるようにもなりました。可哀そうな姿に心配の日々が続いています。しかし、2~3日すると少し見える眼で壁を伝い音と感覚だけで恐る恐る歩き始めて、自分でトイレ・餌のある場所に行けるようになりました。爪とぎもするようになって、盛んに鳴き声で存在や要求を訴える元気なつぅ~に戻りつつあります。「白い杖を持たせてやれたらな~」と家内が言うので「そやけど3本足ではよけ歩かれへんがな」と冗談が言える明るさが生まれてきました。
私と79歳の妻・16歳の柴犬と障害猫つぅ~との高齢家族が平凡で幸せな晩秋の日々を暮らしています。生き物には必ず終わりがあることを自覚して愛しみ助け合って生きて行かねばなりません。

 遊女の薄情け

この歳になっても、遊び心・好奇心が止まない。歓楽の巷には今も昔も変わらないタブーがある。それは男女ともに本気になってはならない、惚れてはならないと言う「(おきて)」のことである。京都花街(かがい)の舞妓にも「ぜったいに恋はしたらあきまへんえ~」とおかぁはん(置屋の女将)の厳しいしつけがある。新地の華やかで情緒ある風景のその裏側には「カネ」で割り切られた別世界がある。そこは騙されに行く男と、まやかし女の群れる甘美な桃源郷なのだ。解っていても、つい思わず足が向く、なぜならそこには夢があり現実をひと時忘れさせるシチュエーションが設けられているからだ。男たちは一抹のまことを求め夢想に落ち込んで、やがて夢が覚める。
昔の遊女たちは「熊野権現の誓紙」を何枚も書き、「命」のタトゥを何回も彫り、切り指をしんこ(たくあん)に化けさせて幾つも用意する。落ちそうで落ちないスリリングな欲情をくすぐって稼ぐ手練手管はなんと絶妙の技ではないか!俚諺には「四角な卵と遊女のまこと、あれば晦日に月が出る」とある。
騙されると解って遊んでも面白くもなんともないから行かない方が良い。そこは割り切ってサラット騙されて未練を残さず遊ぶのが粋な常連だ。皮肉にもこんな男がもてるのが又、難儀なことだ。
近頃ではメールに心を動かされウッカリ乗せられていると、ある日パタット通信が来なくなる。断りもなく彼女の一方的な都合だけで赤い糸はプチン!と切れる。 
     ♪追わないで        追わないで 粋な別れをしようぜ♪

歌  姫 掲載「眉村賞」

近頃、人気スポットの通天閣。その足下に「通天閣歌謡劇場」がある。地階に下りるとホールがあって、その奥まったところに、飛び乗れる程度の低い舞台が設けられている。やがて開演。歌姫が登場する。一応はレコード会社の所属らしいが、聞いたこともない歌手ばかりである。それでもスターを目指してデビゥーのチャンスを狙う彼女たちは、雑草のようにめげず意欲がみなぎっている。観客もまた、雑草みたいに元気がいい。まったくの普段着のおっちゃん、おばちゃんがライトを振って応援するのだ。劇場特製の、投げると5色になるテープが左から右から歌手に降りかかる。それぞれの歌手には熱心なファンがいて、祝儀や花束が盛んに贈られる。歌手が「今日は風邪で声が出なくてごめん」などと言えば、どこからかのど飴が調達される。最前列の常連は投げられたテープを掃除したり、歌手が下りてくると絨毯を手早く敷くなど、劇場内は思いやりに満ち満ちている。辛い仕事や苦しい生活をひととき忘れ、歌手の成功を自らの幸せに重ねて、精いっぱい楽しんでいるジャンパー姿が愛おしい。歌手はトップ歌手との格差を、ただ運に恵まれないだけと軽く構え「がんばってるから応援してね」と全身で語りかける。低い舞台は客席とのふれあいを大切にしているからだ。汗の光る頬をファンの差し出すハンカチで拭う歌手が大きく見えて、ついCDを買ってしまった。地上へ。たそがれに通天閣のネオンが輝いていた。

 

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