2013年6月6日木曜日

武田義三


武田義三

陽明学者・近江聖人「中江藤樹」の出生地、滋賀県高島市は湖西「安曇川」の流域に広がるのどかな農村地帯です。ここは池田市の第4代市長「武田義三」氏の故郷でもあります。氏は農家「清水卯之助」の三男として明治29年、この地で生まれ育ちました。15歳で大阪船場の「武田帯芯商店」に就職、親・兄弟の生活を支えました。

就職したときのエピソードがあります。伝手もなく大阪船場へ仕事を探しに行って「丁稚入用」の張り紙を目当てに徘徊していると、とある商店にだけ「丁稚さん入用」と、さん付けで書かれた張り紙があって、迷わず入店を申し込んだところ、その訳を聞いた主人はその才知が気に入り即就職が決まったそうです。さん付けで丁稚を大事にする主人に見込まれて義三は懸命に勤められて大正9年に婿養子として事業を任せられました。大正11年結婚、飛行機で武田帯芯の宣伝ビラを撒くなど奇抜なアイディアで事業を拡大させ、やがて池田伏尾にも工場を設けて財をなし成功されました。

そして昭和22年第一回地方選挙で公選第1期の市長として当選、政界に出馬するに至りました。

以後7期28年間に及び池田市の発展に手腕を振い現在の池田市の基礎を築いたといっても過言ではありません。五月山公園・野外ステージ・ドライブウェイ・五月山公団住宅・普及率99.5%の上下水道事業・市役所庁舎・公会堂等々

素晴らしい事業感覚で成功させました。

 池田市の大恩人としての武田義三氏がともすれば忘れられそうな今、功績を見直して顕彰し今後の池田市の発展の糧として後継させたいと思います。池田市の恩人としての小林一三氏も偉大です。武田義三氏が成功されたのも支援者としての小林一三氏があったことも忘れてはなりません。

武田義三氏と市役所庁舎

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