2014年6月7日土曜日

楠木正成と池田


楠木正成と池田

 楠木正成は戦前戦中にかけて軍国主義・大政翼賛会などにより、忠君愛国のシンボルとして戦意の高揚・国威発揚に利用され、戦後はその反動で影が薄くなり各地にあった銅像も撤去されたところもあった。しかし、正成の実像は家柄の低い豪族(悪党)と見下げられながら、私利私欲を持たず民や国を想い後醍醐天皇に只ひたすら忠誠を尽し裏切りや反逆・日和見が武士たちの常であった時代に武士の本分を通し抜いた。
 後醍醐天皇への諫言が取入れられず、敗れることが解りながら湊川の戦陣に赴き命を捧げた智と勇気・情けをすべて兼ね備えた日本人として尊敬すべき人物だった。水戸光圀が「大楠公」と称えた正成は後世多くの偉人からも聖人・英雄と慕われている。
 池田の寿命寺には楠木正成が湊川へ向かう途上戦勝祈願に立寄り軍旗・兜・鏃などを奉納したものが保存されている。また正成の幼い頃から仕えた老臣「恩地左近」の寄進状、足利尊氏の恩賞状、森本為時の軍忠状、和田助康の申文など南北朝時代の遺品が多く保存されています。戦前は5月の節句には「楠公祭」が寿命寺で毎年営まれていました。
(恩地左近の妹婿は伊賀服部治郎左衛門元成で忍者として正成に仕える)
 また正成の嫡子「楠木正行」は北朝方に味方した能勢地黄城主内藤伊賀守満幸の娘であった妻をその子を宿したまま郷里に帰した。池田氏の初代の領主「教依」が憐みその子を「教正」と名付けて養子として2代目を継がせた。以後代々「正」を称したと伝えられている。
 現在も伊居太神社に格納されている池田新町のだんじりは大正時代楠木正成の生まれた千早赤阪村から牛に引かせて池田まで譲り受けられた地車でその彫り物は楠木正成「湊川の合戦」奮戦の姿が彫出されている。
 このように楠木正成・南北朝時代と池田との関わりは深く、あらためて郷土史を見直して楠木正成の生き様をみならってほしいと感じました。

 楠木正成1294133643歳)
南北朝時代の武将。河内の豪族。元弘元年(1331)後醍醐天皇の勅に応じて兵を挙げ千早城に籠って北条幕府の大軍と戦い、建武政権下で河内の国司と守護を兼ねて和泉の守護ともなった。伊丹昆陽野の代官も管理。後九州から東上した足利尊氏の軍と戦い湊川に敗死。大楠公の尊称をうける。(広辞苑)

 湊川の合戦への行路
千早赤阪村―京都後醍醐天皇に拝謁―伏見―山崎―櫻井寺宿泊―郡山(茨木市)-箕面(楠水竜王)-石橋―池田寿命寺―伊丹―昆陽野―尼崎―和田岬(西宮)-湊川「会下山」

 建武の中興(新政)
後醍醐天皇による新政で元弘3(1333)鎌倉幕府を倒し、京都に還幸、翌年建武と改元足利尊氏と対立し、わずか2年半で崩壊南北朝時代が始まる。(広辞苑)

 室町時代180年間)
足利氏が政権を握り、京都室町に幕府を開いた時代。明徳3年(1392)南北朝合一から天正元年(157315代足利義昭が織田信長に追われるまでの180年間。前期は「南北朝時代」(13361392)後期「応仁の乱」(14671477)後を「戦国時代」とも言う。(広辞苑)

 足利尊氏1305135854歳)
室町幕府初代将軍(在職13381358)初め「高氏」と名乗るが後醍醐天皇の諱「尊治」の一字を賜り「尊氏」の称した。元弘の乱に六波羅を陥入れて建武の新政のきっかけをつくったが後背いて光明天皇(北朝)を擁立し征夷大将軍となり室町幕府を開いた。(広辞苑)

 新田義貞1301133838歳)
元弘3年(1333)鎌倉に攻め入り北条氏を倒し上野越後播磨の国司1336年足利尊氏を九州に追い落としたが東上した尊氏に兵庫において防いだが敗れた。再挙を図ったが藤島(福井市新田塚町)で戦死する。(広辞苑)

 太平記
軍記物語40巻小島法師作。北条高時の失政から建武の中興~応仁の乱までの南北朝時代50余年間の争乱を描く。(広辞苑)

 寿命寺晋山記念贈呈目録掲載文書 
 寿命寺(西本町)には楠木正成が湊川の戦いに赴くとき戦勝を祈願し奉納された「軍旗」「兜」「鏃」(やじり)があります。楠木正成は七〇〇年位前、河内を本拠として勢力を持つ「悪党」(武装集団・野武士)と呼ばれる豪族の首領でした。鎌倉幕府北条氏の専横に反抗された後醍醐天皇(南朝)に召され、知略・戦略にたけた正成は少数の兵力で数万の幕府軍と戦い新田義貞らと共に幕府を滅ぼしました。(千早赤坂の戦い)
 しかし、足利尊氏が挙兵し再び戦場に赴くこととなり、東上する十数万の足利軍に対して千騎に満たぬ兵力で湊川で奮戦しましたが敗れ、郎党一族と自刃し、43歳の生涯を終わりました。敗け戦と知りながら討死覚悟で最後まで天皇に忠節を尽くした正成は忠臣大楠公として後世まで称えられました。死に赴く進軍の途次寿命寺に立寄り奉納された正成の遺品です。
 (寿命寺の依頼を受けて作文しました。)2013年9月 中岡 嘉弘

 
池田市西本町「寿命寺」

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