2015年1月31日土曜日

運と不運


運と不運

幸不幸や吉凶、世の中の動きは「人知人力」の及ばないなりゆきとされて、天命がこれを定めるもので「運」と言われる。この考え方とただ単に事象と時が全く偶然に重なっただけの経過現象と解釈する考えがある。

多くの人は「運命」と考えて結果を受け入れ、けじめをつけて将来に期待をかけ生き続けて行こうとする。幸不幸の感覚も個人的なもので人によって幸にもなり、不幸にもなるし、また幸福度も個人で異なるものである。

先輩から「人生の半分、いや殆どが運によって決められる!」と聞かされて、納得すると共に、それでは人生の努力研鑽が無意味ではないかと反論したことがあった。努力が運を開くことがあるし、運が総てではないことは確かである。

私もこれまで何事もなく幸せであった訳ではない。人並みに悩み苦しみ悲しみ苦労を重ねて来たが、一般的な他の人々に比べて運が良く幸せな過去を過ごして来たように思っている。宝くじや大穴の万馬券に当ったこともなく巨万の遺産や保険金を得たこともないが致命的な危機に出会う不幸もなかった。小さな幸せを綴って歩んで来たとも言える。周りの人々の暮らしを見ていて不思議なこともある、ごく普通の善良な暮らしをしている人に不幸が重なったり、それほどの魅力もないのに幸運に恵まれて注目される人があったり努力もなく籤が当たったりする。運の強い人と弱い人、運を呼び込む人と運が逃げて行く人が確かにあるのである。まわりを明るくする性格や暗く沈鬱にする人もいる。ついている日や、なにをやっても上手く行かない日なんてこともある。やっぱり運を上手く使い分ける知恵も必要なのかも知れない。

有名な歴史上の逸話があります。明治37(1904)日露戦争の日本海海戦でロシア、バルチック艦隊ロジェストウェンスキー司令長官に対して舞鶴鎮守府の閑職にあった東郷平八郎を日本の連合艦隊司令長官に抜擢した海軍大臣山本権兵衛がその理由について明治天皇から聞かれた時「東郷は運の良い男ですから」と奏上したと言われています。その通り東郷はバルチック艦隊を予測の航路で発見「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し。皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ。」の有名なZ旗を掲げ、対馬海峡で敵艦隊を迎え打ち、直前でターンする丁字戦法を成功させ、すべてが幸運に恵まれて、バルチック艦隊を一方的に完璧に殲滅しました。戦後、東洋のネルソンと並び称せられ世界的英雄として、また、日本国民の尊敬を集めました。やがて元帥・大勲位功一級の栄典を受け、86歳の長寿で死去後は神格化され東郷神社が建立され神として祀られている。全く文句のつけようのない「運の良い男」である。勿論数々の実戦を体験し、不断の訓練を重ねやれるだけの準備はすべてやった上での快挙ではあったのだが。

私の運気が大きく変わり始めたのは平成265月頃だった。右脚が重くなって歩行が困難となり、かかりつけ医師に相談したところ、友人の循環器専門医師を紹介してもらい診断は動脈硬化による血行不良と言うことで、直ちにカテーテル手術を受け快方にむかった。しかしここからが幸不幸の始まりとなった。

循環器医師が専門外だが胆嚢に異常が見られるので消化器内科の検査を勧めると告げられた。そしてMRICTECO・内視鏡等あらゆる検査の結果内臓全般に異常が見られ疑悪性腫瘍の幾つかも発見された。60歳で心筋梗塞、75歳で前立腺腫瘍手術以後何の身体の不調を感じることなく健康に自信があったのだが80歳を超えてやはり故障がない筈はない。以降入退院を12回も繰り返し順次治療を加えて来て最も大きい胆嚢と肝臓一部の摘出手術を控えていた。この手術は心臓の負担が大きいために外科医師は慎重であった。そのため事前に心臓カテーテル治療も行い手術に当ったが、なんと3回も手術の前日に異常が起きて中止となったのである。1回目は手術前の投薬ミスで2回目は前夜の心不全(肺水腫)発作3回目が救急車搬送で心臓バイパス手術となって現在胆肝臓摘出手術はお預けのままで自宅静養中である。一体何が良かったのか悪かったのか解らないが只どうにか生きている、いや、生かされていることは現実のことなのである。私の生命のために救急隊員・多くの医師看護師そして家族が献身的に奉仕して頂き、その中で全く不可能と思われる奇跡的に救われた命の重さと自分の幸運をしみじみと感じている。日頃の行い?!自信はないけど人には親切に社会に出来るだけの奉仕をと努めて来た。運を味方につける要因には何かあるのではないかと思う。

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