2015年5月15日金曜日

兼好法師と池田


兼好法師(12831352)と池田

「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」で始まるおなじみの徒然草(つれづれぐさ)の作者兼好法師は卜部兼好(うらべかねよし)とも吉田兼好とも呼ばれている。先祖が京都の吉田神社の社家であったので江戸時代頃からは吉田兼好と呼ばれ、現在教科書では兼好法師と書かれています。

父、卜部兼顕は吉田神社の神職で兼好は弘安6年(1283)京都に生まれ、初め堀川家の家司となりのち後二条天皇に仕えて従五位下左兵衛佐にまで昇進しましたが、天皇崩御後に出家し遁世し歌道を志して二条為世の門に入り、その四天王の一人となるほどの歌人となりました。以後は各地を遍歴風遊の生涯を過ごしました。有名な徒然草を書いたのは鎌倉末期文保3年(1319)頃から元弘3(1333)頃までと思われます。さて、池田との関わりですが昔伊居太神社の東側は竹林となっていて、そこに「兼好松」と呼ばれていた老松がありました。現在はその松は枯れてその場所は児童公園となっていますがそこにあった東屋に兼好法師が隠棲していたと伝えられています。いつ頃から何年滞在したのか記録はありませんが徒然草を執筆していた頃と考えられます。今は童謡作家東くめさんの「鳩ぽっぽ」の記念碑が建てられ、最近にはジェットコースターのような滑り台が出来、また忍者の砦も造られて、いつも元気な子どもたちの歓声の絶えない公園となりました。池田と兼好法師との関わりがあったことが忘れられないように書いておきました。
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿