2016年1月20日水曜日


映画は斜陽か?

ラストには3D映画「アバター」の上映もしていた栄本町の「池田中央シネマ」(近畿興行㈱)」が5月末日をもって50数年の歴史を経て閉館された。これで池田の、いや!阪急沿線の映画館は十三の「第七芸術劇場」(ナナゲイ)を残して、すべてなくなってしまった。戦前の池田には田舎芝居「呉服座」が呉服橋東詰めに、西詰めには「川西座」そして大西町(現綾羽町)には「明治座」があって明治座は落語の寄席として賑わっていた。また現在のステーションNビルの辺りにあった天神の森に「春日座」と言う芝居小屋が出来たが杮落し(こけらおとし)から5年で焼失してしまった。これら芝居小屋や演芸場は昭和初期頃からは大衆の唯一の娯楽場として映画劇場に変身した。トイレの臭いの漂う客席で気にもかけず、のしするめ・すこんぶ・塩せんべいをかじり、立ち見もありの盛況の時代があった。この頃呉服町には「池田映画劇場」(池田キネマ)があり、手書きで書かれた俳優の大看板が入口に上がっていた。駅南地区の再開発でサンシティ池田となってビル内の劇場となり、その後近畿興行と合併して東映の封切館として、つい最近まで上映されていました。映画は明治30(1897)日本に輸入されなんばの現在「マルイ百貨店」のある場所で日本初の興行が行われました。各地の映画館が相次いで閉館する一方で新しく出来る大型商業施設には必ずと言っても良いシネコン(シネマコンプレックス複合映画館)が出来て、映画ばなれが心配された一時期が嘘のように若者たちがコークとバケツのような超デカのポップコーンのペアセットを手にどんどん入場して来る。ソファのようなゆっくりした座席で映画を鑑賞できる快適さは旧来の映画館の衰退は仕方ない流れだと感じさせられる。池田の「呉服座」は昭和44年愛知県犬山市「博物館明治村」に移転され重要文化財として生き残っている。一抹の寂しさを覚えつつ、往時の大衆演劇「呉服座」の復活を願っています。

大正2年呉服座の興行日数244日。入場者数 2万6589名。明治座の興行日数 21日 入場者数 975名。


下はなんば「マルイ百貨店」1Fにある、小林一三の銅板の記述です

私はこの南街会館を建てるに際し偶然この地が日本に於ける映画興行の発祥の地である事を或る文献によって知る事を得た。即ち京都の稲畑商店が明治30年二月十五日(1897)より一週間当時此処に在った南地演舞場でフランス人オウギュスト・リュミエールの発明にかかるシネマトグラフを初めて日本で公開興行したのである。日本で最初にスクリーンに映された映画が人々の眼にふれてのは実に此の場所であった。五十七年前のこの事実を私は知らずして南街会館建設を企画したのである。誠に奇しき因縁とおもってゐる。

 195311月      小林一三         海老澤鋳造所

                               H22.8.(2010.

0 件のコメント:

コメントを投稿