2016年1月15日金曜日


「東洋の女神さま」谷田絹子さん

東京オリンピック(1964年・昭和39年)女子バレーボール金メダリスト谷田絹子さんが「東洋の魔女」と呼ばれてもう47年になる。このニッネームは日本でなく、欧米で付けられたのです。世界を驚かせた日本の女子バレーチームは最初「東から台風が来た」と言われましたが、試合の中継中に何度も人間には出来ない技をする女、少しは侮辱の意味も込めて「魔女」と呼ばれました。外人とは圧倒的に体力の違う小柄な日本人が「回転レシーブ」などで粘り強く挑戦するさまを見て、人間ばなれした女性たちと感じたのも無理のないことだったでしょう。「鬼の大松」と呼ばれた大松監督のもと、スパルタ式トレーニングで鍛えられた精神力バレーは現在の「なでしこジャパン」でも考えられない厳しさを耐え抜いた金メダルでした。谷田絹子さんは「この金メダルはみんなの力で得たメダルですから、全国の皆さまに見て頂くものです」とテレビで話されて各地で公開されました。優勝の快挙はスマッシュで取りたかったのですが、ソ連のミスで決まったことが残念だったと語られました。以後バレーボールブームを引き起こして「サインはV」「アタック№1」などコミック・アニメ・映画で人気を博しました。現在神田でお住まいの谷田絹子さんは呉服町の生まれ、呉服小学校、北豊島中、四天王寺高へと進まれニチボー貝塚に入社され、東京オリンピック金メダルを勝ち取られました。72歳とは見えない若々しい彼女は今も現役でバレーコーチとして指導に忙しい日々を過ごしておられます。唯一、池田の誇りとする金メダリスト谷田絹子さんの「魔女」は返上して植村花菜さんの「トイレの神様」ならぬ「東洋の女神さま」とお呼びしてはどうでしょうか。                          H23年11月(2011

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