2016年5月16日月曜日

地域に奉仕する「ほほ笑みの街プロジェクト」
「ひげの殿下」と親しまれた「寛仁(ともひと)親王(しんのう)」が国際ユニバーサルデザイン協議会の設立に当ってその理念として示された言葉がある。「100%の障害者はいない100%の健常者もいない人間は皆、身心のどこかに障害部分を持っており、なおかつ健常なる部分をも合わせ持っている」と話された。障害者も健常者も何ら変わらない、精神障害者は特定の人のものでなく、誰もが少なからず陥る障害なのだ。そして私は自身の問題として考えるようになった。
日本においては未だ精神障害者を一般社会人とは区別して扱う環境下にあり、患者として私立病院に半ば拘束状態で長期入院となり薬物療法を用いて症状を改善させる治療方法が行われている。そして障害者の社会人としての生活・就業・人権などを支援する社会環境は日本では未熟なのである。
イタリア北東部の港湾都市トリエステは古代より中部ヨーロッパへの門戸として繁栄して第2次大戦後はイタリア領となった人口21万人の国境の小都市でもある。先進と言われるトリエステの精神障碍者に対する対応はどうなっているのか、イタリアには単体の精神病院は一つもありません。1998年にバザーリアという医師によって、イタリア全土で完全に閉鎖されたからです。これに対して日本は先進国の中で病床数も入院期間も最も多い。イタリアでも1960年頃までは日本同様入院イコール前科者として犯罪者として扱われていました。バザーリア院長はナチの収容所と同じではないか?と嘆いて病院の改革に取り掛かりました。まず、病院の清掃人に化けて直接障害者に接しその行動発言についてつぶさに調査を行いました。そして障害者の正常な怒りが異常と認識されている実情を見て正常な医師と患者との対応の必要を感じ改革を進め20年を費やして1200人いた入院患者を1998年にゼロとしました。精神障碍者の精神の症状は見えないが人生の一時期の症状として外傷と同じように治療すれば健常者に戻るものであることを実践しました。悪化しても薬で抑え行動を制限することはせず、時間をかけて過去の症状や家族構成、人生の経歴、環境の変化までも調査し話し合って改善して行く粘り強く忍耐のいる治療を行ったのである。治療に画一したモデルはない!患者一人一人のオーダーメイド治療が必要であると言われた。また患者自身が自分で何かを行うことの大切さも教えられた。トリエスタの社会は障害者にとって良き理解者であり協力者であった。もと病院のあった広場は学生・患者・市民との交流の場となって相互で長時間話合い、ふれあいサポートする知識をふくらませている。患者は元に戻らない努力を続けているのだ。トリエステの人々はお互いを尊重・尊敬し、年齢差を気にせず自分の意見をズバズバと言うそして理解し合う術(すべ)をもっている。
日本人と全く違う価値観・風習・文化・言語のイタリアで行われている精神障碍者への対応がそのまま日本に受け入れられるとは思われないが、参考として
研究する必要がある。
池田市宇保町にある精神障害者地域活動支援センター「咲笑」(さくら)内の障害者の生活介護をする社会福祉法人「てしま福祉会ほのゆる」で精神保健福祉士として業務に携わる小村絹枝さんは自ら地域保健システムの研究にトリエステの現地を訪れ実情を体験してこられました。そして障害者の社会への関わりの試みとして20139月「ほほ笑みの街プロジェクト」を発足させました。プロジェクトの構成は精神障害・自営業者・飲食店業者・学生・外国人・研究者など様々な分野の人々が加わっている。
そして、皆でつくる食事会・そうめん流し・くれはまつり、てるてる広場などの地域イベントにクレープ提供などで参加・花壇つくり野菜栽培・ウォークラリー・グランドゴルフなどの事業を広げて行きました。最近では子ども食堂の運営にも関わって子育て支援にも活躍しています。活動を通じて地域の障害者に対する理解が深まるとともに障害者自身の社会への自然な関わりに変化が見え始めて来ています。プロジェクトは小村絹枝さんから引き継いで今は脇谷菜実さんがプロジェクトの今後の活動を発展させるべく頑張ってくれている。






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